ジャーナリストの須田慎一郎が、2025年8月2日の朝刊で報じられた「首相、戦後80年談話見送りへ」というニュースの真相について緊急解説する。
「戦後80年談話」見送りの舞台裏
2025年8月2日、朝日新聞が「首相、戦後80年談話見送りへ」と一面トップで報じた。戦後80年談話は、参議院選挙後、石破総理総裁がその座にしがみつくための材料として浮上し、安倍元首相が発表した戦後70年談話を「上書きする」ことで、安倍氏を「無きものにする」意図があるのではないかという見方も出ていたという。
しかし、須田氏のもとには実はすでに2、3ヶ月前から、「80年談話は出ないのではないか」という情報が入っていた。談話周辺からは、「70年までで自民党として区切りをつけたのだから、ここで上書きするようなものを出すべきではない」という強い意見が石破総理に伝えられ、見送る方向でほぼ決着していた。
須田氏が改めて取材を進めると、この見送りの方針は変わっておらず、「ほぼ99%見送る方向で決着している」ことが確認された。
この80年談話は、首相が一人で思いつきで作れるものではなく、有識者が集まり、協議を重ねて閣議決定を経る性質のものだと須田氏は語る。そして、見送りの決定打となったのは、もし強行突破して出すことになったら、何人かの閣僚が辞めていた可能性があったことだ。石破内閣内で談話を阻止する動きが加速し、最終的に石破首相が諦めざるを得なかったのが実態だという。
「極左」勢力による「自民党分断工作」の可能性
須田氏は、「80年談話」を巡る攻防の背後には、驚くべき真相が隠されていると語る。それは、この談話を出すべきだと主張していたのが、自民党内の保守派ではなく、むしろ一部の「極左と呼ばれる人たち」だったという点だ。
参院選の結果が出る前から、ネット上をはじめ様々な形で「石破首相に80年談話を出して有終の美を飾るべきだ」という論調が、なぜか極左サイドから発信されていた。
須田氏はこの動きを「自民党の分断工作だったのではないか」と推測する。石破首相自身には、安倍氏への当てつけとして「俺は安倍晋三とは違うんだ」という姿勢を示したい気持ちはあっただろうが、本心では談話を出すつもりはなかった。しかし、その気持ちに付け込むように「極左サイドから石破氏への『談話を出すべきだ』という呼びかけ」があった。
こうした動きに対し、石破首相を支える周囲のグループからは、「そんな80年談話を強行突破の形で出してしまうと、自民党の中が割れてしまう」という強い反対意見があった。にもかかわらず、追い詰められた状況下で「極左サイドから『80年談話を出すべきだ』という働きかけ」が続いたことで、石破氏の心中は揺れ動いていた可能性があるという。
最終的には、石破首相の周辺が「これは極左サイドから仕掛けられた分断工作なんだ」と気づき、石破氏を必死に説得して見送りの方向に動かしたのだ。
70年談話の否定と自民党の危機感
この分断工作の狙いは、単に80年談話を出させることだけではない。その真の目的は、「70年談話の否定という形で80年談話を出させるべきだという主張」にあった。つまり、極左サイドは安倍元首相の70年談話を「歴史修正主義」とみなし、それを元に戻すことで、自民党内の保守派と石破氏の間を分断しようと試みたのだ。
保守派を中心に石破氏への批判が加速する中、この工作は石破氏の心をわずかに動かしたかもしれない。しかし、「『そんなことをやってしまうと本当に自民党が割れてしまう、分断してしまう』という危機感」が周囲に広がり、もし強行すれば「閣僚を辞める」という動きも出てきたため、最終的に石破首相は談話の発表を断念せざるを得なかった。
須田氏は、今回の「80年談話見送り」の裏には、「極左サイドから行われた自民党への『分断工作』があった」ということを認識しておく必要があると結論付けている。
はたして、この政治的駆け引きが、今後の自民党内政局にどのような影響をもたらすのだろうか――。
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