明海大学外国語学部教授の小谷哲男氏は、エプスタイン問題がトランプ大統領に与える影響を分析。「トランプ氏が広めた陰謀論がブーメランのように今トランプ氏に返ってきている」と指摘した。エプスタイン・ファイルの非公開がMAGA派の批判を招き、トランプ氏が新たな「オバマゲート」という陰謀論をでっち上げていると解説した。
エプスタイン問題とは何か?──「ブーメラン」として返ってきた陰謀論
エプスタイン問題とは、アメリカの著名な大富豪ジェフリー・エプスタイン氏が未成年少女への性的搾取や人身売買に関与した疑惑に端を発する問題だ。彼は2008年と2019年に有罪となり収監されたが、2019年の収監直後に刑務所内で死亡した。公式発表は「自殺」だが、この死を巡っては「事実を隠すために殺害されたのではないか」「殺害したのは民主党系の政治家ではないか」といった陰謀論がアメリカ国内で広く囁かれるようになった。
トランプ大統領は、2017年の1期目当選当時からこのエプスタイン問題を陰謀論として積極的に利用してきたという。彼は、「エプスタイン氏が作り上げた少女買春のネットワークに民主党系の政治家や大口献金者が顧客として関与しており、その事実が明るみに出ないように民主党がエプスタイン氏を殺害した」と主張し、民主党の「悪事」を隠蔽するための殺害であるかのように喧伝してきたという。
2020年の大統領選挙期間中には、再選すれば「エプスタイン・ファイル」を公開し、民主党の「闇」を暴くと公約していた。しかし、実際にはトランプ氏とエプスタイン氏は長期間にわたり親しい関係にあったことが判明し、最近の動きでは「エプスタイン氏の少女買春ネットワークの顧客リストにトランプ氏も載っていたのではないか」「それを隠すためにトランプ政権もエプスタイン・ファイルを隠そうとしているのではないか」と疑われるようになったと小谷氏は説明する。
小谷教授は、「トランプ氏が広めた陰謀論がブーメランのように今トランプ氏に返ってきている」と指摘する。
トランプの対応とMAGA派の亀裂:新たな「陰謀論」の試み
トランプ大統領は今期当選後、司法長官にエプスタイン・ファイルの公開に向けた準備を命じたが、結局2024年7月に入っても「公開するに値するようなものはなかった」として非公開を決定した。
この決定は、まさに「民主党の闇を暴く」ことを期待していたトランプ氏の支持層、特にMAGA(Make America Great Again)派を大きく刺激したという。MAGA派は、トランプ政権2期目になればディープステート(闇の政府)が隠してきたエプスタイン氏の少女買春ネットワークの闇が暴かれると期待していたが、それが裏切られた形となった。
MAGA派からは「トランプ氏自身も(顧客リストに)載っているのではないか」「自分の身可愛さに有権者との約束を破るのか」といった激しい批判が噴出したという。これに対しトランプ大統領は「つまらない問題にこだわるような支持層は自分の支持をしなくていい」とSNSで発言するなど、両者の間に亀裂が深まっていると小谷氏は分析する。
MAGA派の支持を失うことを避けたいトランプ大統領は、現在、新たな疑惑をでっち上げ、支持層の関心をそらそうとしているという。それが「オバマゲート」と呼ばれるものだ。トランプ氏は、2016年の選挙にロシアが介入し、トランプ氏を勝たせたという「ロシアゲート」は、当時のオバマ政権がトランプ氏の当選の正当性を弱めるために「デマ」として作り上げたものだと主張している。しかし、小谷教授は、米国議会の調査によってロシアの選挙介入は「相当な証拠も示した上で」結論付けられていると述べ、今回トランプ氏が公開した機密文書とされるものからオバマ政権がロシアゲートを「作り出した」と解釈するには「かなり無理がある」と指摘している。これは「新たな陰謀論をまた作り出そうとしている」というのが実態に近いとの見方だ。
MAGA派の一部はオバマゲートに関心を向け始めているが、エプスタイン問題へのこだわりも根強く、トランプ氏の思惑通りに支持層の関心が完全に移っているわけではないようだ。
保守系メディアの報道とマードック氏提訴の背景
エプスタイン問題は、民主党の「闇」に焦点を当てる問題と認識されているため、リベラル系メディアよりも保守系メディアが積極的に取り上げているという。
一方で、2024年7月に入り、ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)がエプスタイン氏とトランプ氏の個人的な関係を決定づけるような記事を報じた。トランプ氏はこの記事の掲載を阻止するため、WSJのオーナーであるマードック家に対し「かなり圧力」をかけていたとされている。しかし、記事が掲載されたことで、MAGA派がトランプ氏から離れる大きなきっかけとなった。
これを受け、トランプ氏はWSJとマードック氏を提訴した。これは、自身の顧客リストへの掲載疑惑を隠すため、そしてWSJの記事を「フェイクニュース」であると強調するための動きだと考えられる。これまで、マードック氏がかつて保有していたFOXニュースはトランプ氏に好意的な報道をすることが多かったため、両者の関係はトランプ氏を「支える関係」にあった。しかし、2020年の大統領選挙結果を巡って、FOXニュースがトランプ氏の敗北を認めたことから関係が悪化。今回のWSJの記事が「追い打ちをかけた」形だという。
今後のトランプ政権への影響と注目点
エプスタイン問題は、今後のトランプ政権の国内外政策に大きな影響を与える可能性があると小谷氏は見ている。MAGA派の支持層を失うことを避けたいトランプ氏は、よりMAGA派が求めるような保守的な政策を推進する可能性が高まるという。
内政では、不法移民対策のさらなる強化、大学への統制強化などが考えられる。外交では、MAGA派が国外問題への積極的な介入に極めて消極的であるため、トランプ大統領はより消極的な外交政策を打ち出す可能性が高まるという。例えば、ウクライナへの武器支援についても、当初は長距離攻撃兵器の供与に前向きな姿勢を見せていたが、MAGA派からの反発を受け、攻撃能力については「考えていない」と立場を変えた。関税交渉の加速については、MAGA派が求める貿易赤字削減や国内産業強化の意向が働いた可能性はあるものの、8月1日という期限も迫っていたため、エプスタイン問題が直接的な影響を与えたかどうかは分析が難しいとされている。
今後のエプスタイン問題を巡る焦点としては、以下の点が挙げられる。政権側は、このまま情報公開をしないとまずいという認識から、エプスタイン氏の裁判所での発言記録や共犯者からの聴取など、公開できるものを出そうとする動きを見せているという。ただし、司法取引によってトランプ氏に有利な発言を引き出そうとする可能性も指摘されており、注意が必要だ。
議会の動きも注目される。民主党議員はもちろんのこと、共和党議員の中でもエプスタイン・ファイルの全面公開を求める声が高まっているという。この主張が広まれば、トランプ氏の望む形で問題が収束せず、大規模なスキャンダルに発展する可能性がある。場合によっては、司法妨害によってトランプ氏に対する弾劾の可能性も出てくるため、今後の議会の動きが最も注目されると小谷氏は結んだ。
小谷哲男教授の解説からは、エプスタイン問題が単なる過去のスキャンダルに留まらず、トランプ大統領の支持基盤と国内外の政策にまで影響を及ぼし始めている現状が明らかになった。特に、トランプ氏が広めた陰謀論が自らに跳ね返り、その苦境を打開するために新たな「デマ」を打ち出すという展開は、今後のアメリカ政治の混迷を予感させる。はたして、エプスタイン・ファイルは最終的に「全面公開」されるのだろうか――。そして、この問題がトランプ政権の命運にどう影響するのか、議会の動きを含め、今後の展開から目が離せないだろう。
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