神戸大学教授の井上弘貴氏が、著書「アメリカの新右翼」を基に、現代アメリカにおける「新右翼」(ニューライト)の複雑な思想的潮流とその歴史的背景を深掘りする。トランプ現象の背景にある「思想的な運動」としての側面を強調し、保守派の多様性が「魅力につながっている」と指摘する。本稿では、3つの世代にわたるニューライトの系譜と、オルトライト、ポストリベラル右派、テック右派など、多様な思想潮流を構成する主要人物たちの思想を紹介し、それが日本社会に与える示唆について考察する。
「アンチ・リベラル」が生む保守の多様性
神戸大学教授の井上氏は、トランプ大統領の登場以降、その背景にある思想的な動きを理解することの重要性を説く。単なる格差への反発といった単純な説明では捉えきれない、「思想的な運動でもあるという側面は確実にある」と井上氏は指摘する。
アメリカにおける保守とリベラルの対立は1980年代のレーガン政権の頃から続いているが、その「中身がどんどん変わっている」。特に「右側が変わっている」点が顕著だという。リベラルが「考え方がカチッとしている」のに対し、保守は「右とは何かを巡っていろんな立場の人がいろんなことを言っている」ため、その多様性が「魅力につながっている」と分析する。この多様性は、「アメリカのリベラリズムに対するアンチの立場を取ってきた」という歴史的背景に由来する。
3つの波で読み解くニューライトの系譜
アメリカのニューライトには、大きく分けて3つの波が存在する。
第一のニューライト:ニューディール批判に端を発する
最初の波は、1930年代にフランクリン・ルーズベルトが始めたニューディール政策への批判から生まれた。「なんで政府がそんな税金を勝手に取って人々にお金をばらまくんだ?やってること泥棒と同じじゃないか」という反発が原点にある。戦後に確立されたこの第一のニューライトは、1980年代のレーガン政権誕生に影響を与えた。孤立主義や陰謀論的な要素は排除されていたという。
第二のニューライト:公民権運動への反発と社会保守の台頭
1950年代後半から60年代にかけて、公民権運動を背景に、経済的平等だけでなく、人種的平等、ジェンダー・セクシュアリティの平等が重視されたリベラリズム(ニューレフト)への反発として、第二のニューライトが台頭した。「アメリカの社会がどんどん世俗化していてキリスト教的な価値観が失われている」という危機感から、キリスト教的価値観を重視する社会保守の動きが特徴である。また、「マイノリティ重視や学生運動は、新しいエリート(大卒の専門職)が力を強めているだけ」という反エリート主義も顕著だった。最終的にこの第二のニューライトは第一のニューライトと合流し、レーガノミクスを後押しした。
第三のニューライト:グローバル化とポリコレへの反発、SNSの影響
そして、2000年代以降に登場したのが第三のニューライトだ。グローバル化やポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)の進展に対する反発が背景にある。かつて「タブーとされていたような極端な考え方や陰謀論の考え方が非常にカジュアルな形で普及する」背景には、SNSの役割が非常に大きい。井上氏によれば、第三のニューライトの台頭は、右派の「主流と傍流の交代劇」と捉えることができるという。
多彩な顔ぶれ:第三のニューライトを構成する思想潮流と人物
第三のニューライトは一枚岩ではなく、多様なグループが存在する。
オルトライト(オルタナティブ・ライト)
リチャード・スペンサーに代表される白人ナショナリズムの潮流。「傍流に追いやられていた様々な白人至上主義とかそうした考え方を表に出すその役割を果たした」と井上氏は語る。トランプの登場とともに、「先兵のような形」で傍流の考え方をインターネットやSNSを通じて広め、「もう当たり前になってしまう」「それぐらい普及してしまった」という。
ポストリベラル右派
パトリック・デニーンが提唱する「リベラリズムはもう過去のものだ」「過去のものにしなければいけないんだ」という思想。アメリカを「カトリック的な考え方に基づいて刷新すべきだ」と主張し、個人主義が行き過ぎた結果、共同体、家族、道徳が失われたと批判する。学術的に論争できる「良質なグループ」の一つである。
ペイリオコン(ペールオコンサーバティブ)
タッカー・カールソンがこの思想の「窓口」であり「ハブ」となっている。彼は「アメリカの対外的な介入に対して非常に批判的な立場」を取り、2000年代にブッシュ政権下で台頭したネオコン(自由民主主義に敵対的な海外勢力への先制攻撃も辞さない立場)と対立する。孤立主義の系譜を継ぐこの思想は、タッカー・カールソンを通じて広く共有されている。
ナトコン(ナショナル・コンサーバティブ)
イスラエルのシオニストであるハゾニーに代表される「国民保守主義」。「国民国家こそが人々の生活の重要な単位なのだと考えてグローバリズムに対するアンチの立場を取る」人々である。
リフォーミコン(リフォーミスト・コンサーバティブ)
オーレン・キャスといった若手論客が牽引する。経済的なアメリカの改革を重視し、「小さな政府を批判して」「よりアメリカにプラスになるような経済貿易の政策を積極的に政府は出していくべきだ」と主張する。特に保護主義的な政策や関税政策に肯定的で、今後の影響力増大の可能性が指摘されている。
テック右派
ピーター・ティール、イーロン・マスク、マーク・アンドリーセンといったシリコンバレーの起業家たちが牽引する。「テクノロジーと反進歩主義の会」を唱え、テクノロジーが世界を動かすという強い自信を持つ。ピーター・ティールは「ゼロからイチを生み出す」ことを重視し、それが「彼の独特のキリスト教的な価値観と結びついてる」と井上氏は解説する。イーロン・マスクは、SDGsやダイバーシティに批判的であり、「アンチフェミニズムの立場も非常に極右的な価値観を彼も自らのものにしている」と指摘される。
J.D.バンス
トランプの懐刀として知られる政治家。ジャーナリストでも企業家でもない政治家として、「いろんな考え方を人々に伝わるようにメッセージ化する」ことに長けている。カトリックへの改宗からポストリベラル右派と関係が深く、元々シリコンバレーとも関係があったためテック右派ともつながりを持つ。「第三のニューライトの考え方を統合し、政治家としてそれに言葉を与えている」存在である。
トランプは特定の思想を持つというよりも、第三のニューライトの多様なグループの「全部を包括」し、「王様のようにゆったり構えていろんな人の考えを聞いてその時々でそれをやろう」とすると井上氏は分析する。異なる思想を持つグループ間で「ディールをさせている」存在であり、各勢力の力関係や反響を見ながら判断し、取り入れているという。
第三のニューライトの将来と日本への示唆
第三のニューライトは「長く続く」と予測されるものの、「思想として一つの統一したものになるかまだまだ分からない」。今は「運動」の段階であり、アカデミズムの世界では「論理破綻してたりもする」ため分析が難しいという。
リベラリズムは「より論理的でしっかりしたもの」だが、ある程度の「達成をした」ため、「これを守らなければいけない」局面にあり、攻撃しやすい「アンチの立場を取ってきた」ニューライトに対し、積極的な立場を打ち出すことが課題である。
日本への示唆として、アメリカの対立構造が「日本にも入ってきてネット空間ではそうした動きは出ている」と井上氏は語る。文化的な対立がこれまで以上に強まる可能性があるという。日本のリベラリズムは「古くなっている」「新しいリベラルみたいなものって日本って見えない」現状があり、SNSなどでは「ネトウヨ的な人が出てきてるのも傾向としてアメリカと似たとこはあります」。日本のリベラルは「足腰を鍛える必要がある」と指摘する。日本の保守もリベラルも「どこに根っこがあるのか」不明確な部分があり、明治、大正、戦前の思想家たち(福沢諭吉、中江兆民、石橋湛山など)を「参照し思想的にしっかり考える」ことが求められている。
神戸大学教授の井上氏の分析から、アメリカの新右翼が既存のリベラリズムに対する多角的な批判と、グローバル化、テクノロジーの進展、社会の変化に対する多様な反応の現れであることが明らかになった。これは単なるポピュリズムではなく、知的かつ複雑な思想的運動の側面を持つ。特にSNSの普及が傍流の思想を表舞台に押し上げたことで、保守派内の勢力図は大きく変化し、トランプはその変化を巧みに利用している。この状況はアメリカに特有のものではない。日本においても、リベラリズムの形骸化や保守派の多様化が見られ、アメリカと類似した対立構造が顕在化しつつある。今後の社会のあり方を考える上で、両国の思想動向と、それらを深掘りし再構築する努力が重要となるだろう。
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