元朝日新聞政治部デスクの鮫島浩氏が、長年の経験から「客観中立報道」は存在せず、「壮大な嘘」だと断言する。すべての報道には記者の「価値判断」が入るため、本当のジャーナリズムとは、自らのバイアスを「全てオープンにすること」だと主張。既存メディアの「両論併記」は、中立ではなく「逃げているだけ」だと厳しく批判する。NHKや朝日新聞は「客観中立」を大原則としている。しかし、元朝日新聞政治部デスクの鮫島浩氏は、この概念は幻想であり、すべての報道は本質的に偏向報道であると断言する。
「客観中立」という名の保身
鮫島氏は、報道の現場は、毎日「価値判断」の連続だと指摘する。例えば、どのニュースをトップに持ってくるか、どの質問をするか、誰に取材に行くかといった選択のすべてに、記者の好みや価値観が入ってしまうため、中立はありえないのだ。
既存メディアの「中立」とされる報道は、実際には「何もしないこと」や「両論併記」に過ぎず、これは「今の現権力者が喜ぶ」結果になっていると批判する。特に選挙報道において、各党の発言を羅列するだけで、「政策の中身を深く掘り下げず」有権者が政策で選ぶことを困難にしているという。
鮫島氏は、こうした「両論併記」は「最低」であり、中立でも何でもなく、「逃げているだけ」「保身」であると強く非難した。批判されるのを恐れて、各政党の発言を羅列するだけで、分析も加えず、それがジャーナリズムだと思っている姿勢を問題視する。
真のジャーナリズムは「自己開示」
鮫島氏が提唱する「本当のジャーナリズム」とは、この「中立原則」から脱却することだ。報道機関や個々の記者が、「自分たちはこういう理念に基づき、こういう考え方で報道している」と明示することが重要だという。
さらに、記者の経歴や個人的な背景、価値観、バイアスを「全てオープンにすること」が不可欠だと語る。例えば、自身が奨学金で国立大学に行き、権力や貧富の格差を嫌い、弱い立場の人に寄り添いたいという傾向があること。また、法律を学んだため、思考が法律的になりがちなこと。過去に担当した政治家(菅直人、竹中平蔵、小沢一郎など)を明かすことで、特定の政治家に引っ張られる恐れがあることを示すことだ。
このように自分の「弱点」や「偏り」をさらけ出し、読者や視聴者に「割り引いて見てくださいね」と情報開示する姿勢こそが、ジャーナリズムの「最先端」であり、最も「フェア」な姿勢であると主張する。
相手の「価値観」を否定しない議論を
鮫島氏は、既存メディアの姿勢が、政治家や有権者までもが「とんがれない」同調圧力的な社会を作り出してしまった最大の責任があると述べる。
健全な政治議論と合意形成のためには、異なる意見を持つ相手との議論においては、まず相手の「価値観」を否定しないことが極めて重要だと強調する。価値観は個人の経験や歴史から生まれるものであり、それを否定すれば議論は成り立たないからだ。
むしろ、意見の相違は「事実の認識のズレ」や「将来の分析の相違」から来ることがほとんどであるため、議論においては、「現状認識のすり合わせ」と「今後の展開の分析」に焦点を当てることが建設的な対話に繋がる。そして、政治の本質は「合意形成」であり、全員が100点満点を得られなくとも、多くの人が「まあしょうがない」と思える着地点を見つけることだと結ぶ。リーダーにとって最も重要なのは、偏差値や知識よりも、人々が「この人なら」と思える「人間性」や「器」であるとしている。
「客観中立報道」という幻想が崩壊した今、私たちは報道のあり方と政治議論の進め方を根本から見直す時期に来ているのかもしれない。はたして、私たちは自らのバイアスを自覚し、相手の価値観を尊重した上で、建設的な議論を重ねていくことができるだろうか――。
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