作家のエルヴィラ・バリー氏が、ポーランドとバルト三国がロシアを永続的な脅威と見なす、その根深い理由を歴史的観点からひも解く。ロシアの脅威は彼らにとって単なる想像ではなく、「家宝のように受け継がれる傷跡」であり、過去に繰り返された支配と抑圧の記憶が現代にまで色濃く影を落としていると指摘する。
「歴史」に刻まれた終わりのない恐怖
バリー氏がまず強調するのは、ポーランドとバルト諸国にとって、ロシアの脅威が「歴史そのもの」であるということだ。ロシア兵が街を行進する光景は、「帝国は消滅したのではなく、再び現れるのを待っているだけかもしれないという、静かで常に存在する恐怖」として、何世代にもわたって継承されてきた。
これらの国々が「ロシアが何をするかを恐れているのではありません。彼らが恐れているのは、ロシアが既に何度も繰り返してきたことです」。この言葉は、過去の支配、併合、そして文化抑圧の経験が、彼らの対ロシア観を形成する上で決定的な役割を果たしていることを物語っている。
宗教と政治が対立を生んだ中世
ロシアとポーランド・バルト諸国の関係の困難さは、現代のロシアが形成される以前の時代にまで遡る。かつてこの地域には、ロシアの原型となる「モスクワ大公国」と、「ヨーロッパ最大の国家」であったリトアニア大公国という二つのスラブ帝国が存在した。
この二つの帝国の宿敵関係は、単なる領土の野心だけでなく、「宗教」に起因する。リトアニアのエリートはカトリック教徒、モスクワのエリートは正教会であった。ビザンツ帝国が陥落すると、モスクワは自らを「第三のローマ」と称し、すべての正教徒の保護者を自任した。これにより、モスクワはリトアニア支配下にあった正教徒を「不敬虔なカトリックの支配者から救う」という「神聖な義務」を感じるに至り、対立は避けられなくなったのだ。
弱体化した「貴族の共和国」とロシアの支配
リトアニアのエリートはポーランドと同盟を結び、1569年に「ヨーロッパ史上最大かつ最も特異な政治的連合の一つ」であるポーランド・リトアニア共和国を樹立した。これは国王が選出される「貴族の共和国」であったが、その「徹底的に分権化された」統治体制が弱点となった。
「危機が訪れたとき、団結や武力で対応することができなかった」共和国は、中央集権的な権威主義体制を確立したモスクワとの対比で、その脆弱さを露呈する。
18世紀末、共和国はついに崩壊し、隣国によって分割された。ポーランドやバルト諸国の多くは、「拡大するロシア帝国に吸収された」。ロシア当局は「地方機関を解体し、現地語を抑圧」し、サンクトペテルブルクから帝政を敷いたのだ。
ソ連による再併合と「ロシア化」の代償
ソ連の誕生後、短期間の独立を謳歌したポーランドとバルト諸国だが、1939年、スターリンとナチス・ドイツの秘密協定によって、その運命は再び暗転する。ドイツが西からポーランドに侵攻すると、「ソ連は東から進軍し、ポーランド領内のウクライナ人を『保護している』と主張した」。
さらに1940年には、「ソ連はバルト三国を迅速に併合した」。これは「自発的な再統合という名目」で行われたが、実態は「移送列車が運行を開始し、大量処刑が始まった」という悲劇的なものだった。
第二次世界大戦後、ポーランドはソ連の「衛星国」となり、バルト三国は「完全併合、強制的な集団化、そして徹底的なロシア化」が強行された。「ロシア東部と中央部からの移民」が強制的に送り込まれ、彼らは現地の文化や言語を学ぼうとせず、結果として「国民の混合と国家間の緊張の高まり」を生み出した。
「善玉」というロシア側の認識と現代の亀裂
バリー氏は、ソ連時代の子供として「彼らは平和裏にソ連に加盟したと教えられていた」と語る。そのため、ソ連崩壊時にこれらの国々が独立を求めて「ドアをバタンと閉めて立ち去った時、私たちは愕然としました」という個人的な驚きを表明する。
この認識のギャップは、ロシアとこれらの国々との間に存在する根本的な亀裂を示している。「ロシアは依然として帝国のアイデンティティにしがみついています。ポーランドとバルト諸国は依然として征服されたトラウマに特徴づけられています」。
クレムリンは「小国が自らの道を選択する権利があることを認めようとしません」。彼らの世界観では「『大国』だけが重要です」。プーチンとその支持者が、これらの国々のNATO加盟を「米国がそうさせたからだ」と主張するのは、彼らの「現実バージョンでは、力は決して選ばれるものではなく、奪われるもの」だからだ。これは、現代の知恵や安全保障の議論ではなく、「古代の本能」が呼び起こされているのだとバリー氏は結論づけている。
歴史的トラウマ、宗教的対立、そして帝国的野心。これらが複雑に絡み合ったロシアと周辺国との関係は、はたして「古き支配ゲーム」から脱却できるだろうか――
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