評論家の浜崎洋介氏が、日本の政治と官僚組織の腐敗の根源を構造的に分析する。財務官僚と自民党に共通する「哲学の欠如」や「思考停止」が組織的な腐敗を招いているという認識のもと、両者の共通点と相違点、そしてウェーバーの正当性の原理を援用しながら、現代日本が抱える最大の危機とその解決策について深く考察する。
「ニンジン」に誘われる腐敗の構造
財務官僚と自民党の腐敗には共通点がある。それは、「哲学の欠如」や「思考停止」が組織的な腐敗を招いているという認識だ。浜崎氏は、両者ともに「ニンジン」への過度な依存がその原因だと指摘する。財務官僚は「財務省というニンジン」に、政治家は「選挙で勝つことや党内での承認というニンジン」に誘引され、それ以外の目的や哲学を見失いがちだという。浜崎氏は、「彼ら(財務官僚)が思考停止に陥って、崇高な理念哲学がないから組織が腐敗している」と語り、この共通の構造が腐敗の根源にあることを示唆している。
腐敗は一般的に「心志しの喪失」を意味し、「彼らが持っている権限を私的に流用する」ことにつながると定義されており、これは官僚にも政治家にも共通する問題だ。
一方で、「ニンジン」の質と構造には相違点がある。財務官僚の「ニンジン」が組織内部の出世や権力に直結するのに対し、自民党の政治家の場合、その「ニンジン」はより複雑だ。
過去の中選挙区制時代、政治家は「党中央からの承認」と「選挙(地盤)」という二つの「ニンジン」を持っていた。「中選挙区制度の時は地盤がものすごく意味を持っていて、だって一つの選挙区で5人ぐらい出るわけだから。そうすると公認なくても地盤が強い人ってちゃんと入れるんですよ」と浜崎氏が語るように、地盤が強い議員は党の方針に逆らっても当選できる力を持っていたため、党との「綱引き」が可能だった。
しかし、現在の小選挙区制時代になると状況は一変する。「小選挙区になると1人しか出ませんから、党の公認が外されるとそれでダメだってことになっちゃう」ため、政治家は地盤よりも「党中枢に顔向けをせざるを得ない」状況にある。
この結果、「顔を向ける先」が変わったと浜崎氏は指摘する。現在の政治家は、選挙民や地盤よりも、党中枢に顔を向ける時間が増え、党中枢はさらに「ジャパンハンドラー(アメリカ)」「財務省からのレク」「大企業からのロビイスト」「中国への配慮」といった外部勢力に目を向けているという。「4年に1度とか、6年に1度のレベルで国民の方見るんですよ。でもこれ頻度が少なすぎるんですよね」と、国民への視点が希薄になっていることが問題視される。
ウェーバーの正当性の原理:官僚と政治家のあるべき姿
マックス・ウェーバーの正当性の原理を援用し、官僚と政治家のあるべき姿が説明されている。正当性の原理には、「合理性」「伝統」「神秘性(カリスマ性)」の3要素がある。
官僚は「合理性」に基づき、法や規則に従い、その裁量の範囲内で「社会善の拡大」を目指す役割を担う。浜崎氏は、「法律が前提があったら、体系から定理を出して、定理から実践を出す。ここは絶対守るんだってのが官僚の1つの自己規定であり倫理だと」と説明する。
一方、政治家は「伝統」と「カリスマ性」に基づき、社会全体の前提(規範や価値観)を作り、議論を通じてそれを変化させていく役割を担う。「あるべき政治家っていうのは、政治的な善の実現」を目指す存在だと浜崎氏は語る。
官僚も政治家も、本来は「社会善の拡大」を目指すべき存在だが、腐敗するとその目的を見失い、社会善の拡大ができなくなると指摘される。両者のアプローチは異なるものの、「どちらも公益のためにという心志しは必要」だと結論付けられる。
日本の政治と官僚組織の腐敗の根源を構造的に分析し、その解決には「本物の判断基準」の確立が不可欠であるという浜崎氏のメッセージは重い。はたして、私たちはこの危機的な状況から脱却し、真に社会善の拡大を目指せるのだろうか――。私たち一人ひとりが「何が正しくて何が間違っているのか」という判断基準を取り戻し、思考停止から抜け出すことが求められているのだ。
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