元テレビ局報道Dの下矢一良氏が、YouTubeチャンネル「下矢社長のメディアとPRの話」の動画で、テレビ業界におけるコンプライアンスの歴史と現状、未来について解説した。過去には許容されていた表現や制作手法が、どのようにして厳しく規制されるようになったのか、その背景にある転換点と今後の展望を深掘りする。
コンプライアンス意識の夜明け:3つの転換点
テレビ業界のコンプライアンスは、過去20年以上にわたる特定の出来事を契機に、段階的に強化されてきた。下矢氏は、その重要な転換点として3つの事件を挙げる。
1996年、TBSオウム真理教事件問題が発生した。これは、TBSがオウム真理教を追及していた坂本弁護士へのインタビュー映像を、放送前にオウム真理教側に見せてしまい、その後に坂本弁護士一家が殺害される悲劇につながったとされるものだ。下矢氏は、この事件を「とんでもない不祥事」であり、テレビ報道の歴史において「絶対に記載されるような重大事件」と評している。この問題が契機となり、「取材のプロセスや内容を第三者に見せない」という原則が徹底され、各局に「報道チェックの部門」が設置された。さらに、現在のBPOの前身である「BRO」が事件の翌年に設立された。これにより、「報道内容というものに対して、監視というか、コンプライアンスを、守ってやっていかなければいけないというのが、極めて強く、問題視されて、そういう体制が取られるようになった」と下矢氏は語る。
次に、2007年の関西テレビ「発掘!あるある大事典」データ捏造問題だ。健康や食に関する情報を扱う人気バラエティ番組において、データ捏造が行われていたことが発覚した。これは「放送で見栄えがいいようなデータに作ってた」という悪質な行為だったと下矢氏は指摘する。この事件により、番組は打ち切りとなり、制作会社である関西テレビは「加入している業界団体から初めて除名処分を受ける」という、極めて異例かつ「不名誉な話」となった。この出来事を機に、バラエティ番組を含む「放送内容っていうのをチェックして捏造なんかもってのほか」という意識が強まり、各局内で「自主制作基準」やルールが「体系化されていった」という。この頃から「コンプライアンス」という言葉がテレビ業界内で徐々に使われ始めたのだ。
そして、2023年のジャニーズ事務所問題である。この問題は、タレント事務所とテレビ局の間の「過度な付き合い」や、「パワハラ、セクハラみたいなものとか含めて」制作の「裏側にかなりコンプラの目が向いてきた」きっかけとなった。これまでのコンプライアンスが「番組内容に関するコンプラ」であったのに対し、ジャニーズ問題は「番組放送体制のコンプラ」に焦点を当てるものだったと下矢氏は解説する。
昔はOK、今はNG:表現の変化
過去には当たり前のように放送されたり、制作現場で行われたりしたことが、現在のコンプライアンス基準では厳しく規制されるようになった具体的な例が多数存在する。
まず、タバコだ。「タバコ吸ってるシーンってほぼ見ないでしょ」と下矢氏が語るように、かつては番組内で喫煙しながら討論するシーンや、職場に灰皿があるのが一般的だった。しかし、「副流煙とかで吸ってない人にもねダメージあるというようなことが広まってからタバコに対する目っていうのむちゃむちゃ厳しい」状況だ。アニメや漫画(例:「美味しんぼ」初期、「ワンピース」のサンジ)においても同様の変化が見られる。
人種に関する表現も大きく変わった。「日本人の芸人さんが顔を黒塗りとか茶色に塗りたくって、いわゆる黒人の扮装したりアフリカの原住民の方に扮装するギャグ」は、「昔のお笑いの当たり前が今の非常識になってる」典型例だと下矢氏は言う。島崎俊郎さんの「アダモステ」や、ダウンタウンの浜田さんの黒人扮装(2017年)が批判された事例が挙げられる。
セクハラ・パワハラ的な表現や行為も同様だ。とんねるずの「みなさんのおかげです」における「松嶋菜々子さんに胸を触ったりとかセクハラ的言動」や、電波少年での松村邦洋さんへの「事実上の監禁生活」(ナスびの検証生活)、「芸人を中吊りにして海の中に落とす」といった過激な演出は、「今だったら人権問題でぶっ叩かれてます」と下矢氏は断言する。江頭2:50のような芸風は、「絶対やれない」とも述べた。
言葉遣いに関しても、病名がより「柔らかい」表現へと変更されるなど、配慮が進んでいる。例えば、「統合失調症」はかつて「精神分裂病」と呼ばれていた。
動物の扱いについても変化が見られる。志村けんさんの番組で「子犬をポケットに押し込める」ような演出は、「今やったら大問題」だと下矢氏は指摘する。「動物愛護っていうものに対する意識がすごい高まっている」ため、時代劇などで馬を扱う際も「怪我をしないよう配慮している」のが状況だ。
今後のコンプライアンスの展望
コンプライアンスの強化の流れは「どんどん厳しくなる」という見方が示されている。下矢氏は「厳しくなる以外の方向性はない」と断言する。組織の内部では「これぐらいでいいじゃないですか」という意見は通らず、「問題になったらどうなんですかとか、スポンサー離れたらあなた責任取れんですかとか社内で言われたらすいませんってなる」ため、結果的に「じゃやめときますか」という判断が前例となり、ルールが強化されていくのだ。
表現の自由が狭まる中で、「ちょっといかがわしいぐらいの動画の方が面白かったりする」という人間の本能的な部分も指摘されている。テレビが厳しい制約を背負う一方で、インターネットでは「ブレイキングダウン」や「令和の虎」のように「コンプラ的にどうよ」と思われつつも「なんか面白い」コンテンツが支持される流れが続くと下矢氏は見解を示す。
今後、コンプライアンスの適用範囲はさらに広がり、「新ジャンル」が登場する可能性が指摘されている。特に「テクノロジーの部分」として、生成AIの使用に伴う「著作権の問題」や、「AIが作った画像の中に知らない間にまずい写真みたいなのものが入ってる」といった「テクノロジー故の新しいコンプラのジャンルが出てくる可能性は高い」と予測される。
テレビ業界のコンプライアンスは、過去の重大な不祥事を契機に厳格化が進み、表現や制作体制に関する様々な側面で制約が強まっている。この流れは今後も止まることなく、さらなる厳格化と、生成AIなどの新しい技術分野におけるコンプライアンス問題の発生が予測される。表現の自由とのバランス、そしてコンテンツの面白さとの両立が、今後のテレビ業界の大きな課題となるだろう。果たしてテレビは、この変化の波を乗り越え、視聴者に新たな価値を提供し続けることができるだろうか。
コメント